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ジャニヲタの“担当”へのこだわり

私のジャニヲタ歴はまあまあ長い。

なんのジャンルでもそうだと思うのだけれど、ファン歴の長さというとはステータスのひとつだと思います。


古株、古参、なんて言葉がありますが。だからといって偉いとは思わないけれど、やはりそれだけ長い年月同じものを変わらぬ熱量で愛せるならばやはりそれは素敵なことで。そして絶対に覆すことができないもので。

ヲタク同士はそういうので揉めたりもするものです。愚かですね。

でもファン歴の長さって年齢に比例しがちなので、所謂“新規”は若者が多かったりするのですよね。それから当たり前だけどそのファン界のルールみたいなものに疎かったりして。それで古株たちの逆鱗に触れてしまったりするわけですよ。うんうん。


ヲタクの世界だけじゃないんでしょうけどね。人間だもの。


さて、だいぶ話が変わってしまいましたが。


ジャニヲタって、自分の1番好きなタレント、所謂“推し”のことを“担当”って言います。


アイドル戦国時代の昨今、やはり主流は〇〇推しという表現なのですけれど。私の知る限りジャニヲタはやはり担当を使ってますよね。


他アイドルや俳優さらにはアニメのキャラクターまで、みんな気軽に推し、推しって言う。

他にも独特の表現はきっとジャンルによってあるでしょうけれどね。


なにやらジャニヲタは“担当”という言葉にある種の誇りみたいなものを感じているように思うのです。



辞書で“担当”という言葉を引いてみました。

【担当】たん-とう
[名](スル)一定の事柄を受け持つこと。




受け持つって。すごいな。勝手に、受け持ってるわけですね。そんな、仕事みたいに。

まあでも、仕事みたいなもんだなあと思ってみたり。




ちなみに筆者の担当は内博貴くんです。

だから余計に、といったら変な話ですが使命感みたいなところは確かにあります。頼まれてないけど、なんだか頼まれた事柄のような。


(‘Д‘.)僕を応援してねー!

って。


同担の皆様は分かってくれるんじゃなかろうか。


同担。同じ担当。つまりは同じタレントが好きな皆さん。


同担拒否なんて言葉もありますが。私はむしろ増やしたい。

内博貴ファンを増やしたくて、ブログ開設したと言っても過言じゃない。



もったいないんすもん。だって。

あんなキラキラした人。天性のアイドル。


知らないなんてもったいない。何か言うなら知ってからにしておくれなんて思うくらい。ね。




きっとそう思ってる内担はたくさんいるはずなのです。


“担当”

不思議な言葉です。なにを受け持っているのでしょう、我々は。

ただ“担当”という言葉でファン同士が、もしかしたら彼らと、繋がっていることは確かです。



…なんの話がしたかったんだろう。

とりあえず、わたしは内博貴担当ですって話だと思います。